時事・報道・ワイドショー

<前置き>私の書く文章を以前から読んでいる人ならばおそらく「ああ、やっぱりそう思うんだ」と感じるだろう。たぶん、反感は持たれるだろうけれど。こういうことを書くのは、もうやめればいいのにとも思う。頭のいい人は黙っているもんだろう。


他人の死には、ほとんど興味が無い。殺人事件や交通事故・医療事故などの報道に、ほとんど興味が無い。
もちろん当事者にとっては重要な問題だ。誰でもイレギュラな死に方はしたくなかっただろうし、亡くなった方の周囲の人たちの悲しみは、病死や老衰による死とは比べられないほど大きいのだろう。私の祖母は数年間の通院と数週間の入院の後に亡くなった。近いうちに死んでしまうであろうことは予想していた。それでも葬式は辛かったし、しばらくはいくらか動揺した。突然の死は、残される側に「心の準備」がない分だけ不幸だろうと思う。
そういう「理解」とは別の問題として、私は、他人の生死に関する「ドラマ」に対して興味が無い。たとえば、遠くの町で殺人事件が起きる。殺されたのは高専の女生徒で、どうやら殺したのは同級生らしい。犯人と推測される男性の行方は不明だ。こんな事件が起きたとして、そのどこに私が関係する可能性があるだろうか。もしこの事件が起きたのが自分の住む町の大学だったとしたら、私に関係が及ぶかもしれない。親しい人が被害者の友人だったら、支えになる必要があるかもしれない。パニックになっていれば落ち着かせる必要があるかもしれない。あるいは勤務先に犯人がやってくるかもしれない。でも、その事件が起きたのは遠くの町だ。同じような事件が、今後、自分の近くで起きる可能性はあるけれど、その可能性と現在の事件のいきさつに興味を持つこととはリンクし得ない。
飲酒運転をして人を殺すという事件は、いくらでもある。そういう事故が起きるたびに飲酒運転に対する世間の対応が適切になっていっているようで、これは好ましいことだと思う。先日起きた福岡の事故も、これがきっかけで悪質な飲酒運転に対して「殺人罪」クラスの刑が適用されるように刑法が変わればいいと思う。そのためには「世論」というやつの力が必要になるはずだから、いろいろ騒がれたほうがいいのだろう。でも、私は、その加害者や被害者の人となりを知りたいとは思わない。とても嫌な事故だと思うけれど、必要以上にその悲劇性を報じる必要はないと思う。


久しぶりにワイドショーを見て、思い出した。葬式の中継が大嫌いだ。レポータが低い抑えた声で「――さんの遺体の入った棺が、……、いま、……、最後のお別れを……、」とか言うのが大嫌いだ。視聴者は本当にそんな映像を見たいと思っているんだろうか。身内の理不尽な死が悲しいのは当たり前だ。遺族が嘆き悲しんでいる映像をわざわざ見せてもらわなくても、そんなことは想像できる。解説付きでテレビで放映されることで、逆に、虚構の世界での出来事のように見えてきてしまう。フィルタができて、完全に「他人事」として見えてきてしまう。それを視聴者は望んでいるんだろうか。望んでいるのかもしれないな。


他人の死には興味がない。誰だってそうなんだろうと思っているけれど、他の人たちのことはよく分からない。事件のドラマ性にも興味はないけれど、そういうことに興味がある人は多いのだろうなと思う。実際のところはよく分からない。
私は、ワイドショーを見ている人に面と向かって『どこが面白いの?』と聞くことはできない。そこまで図々しくないし、馬鹿じゃない。バカにしたいわけでもない。だから、こういう比較的安全なところで勝手な文章を書いている。自分の思考力はちゃんと生きてるよ、ってことを自分や周りの人にアピールしたいんだろう、たぶん。