適応

「萌え」という言葉は、かなり世間で認知されてきていてる、という私の認識は正しいのだろうか。少なくとも自分が知っている社会では、普通の言葉になっているように感じる。主観を表す言葉としてではなく、客観的に評価する言葉として、という感じか(うまく説明できていませんね)。
《うまく書けないので、話し言葉にします》
この前、友人と食事をしたときのこと。たしかジャニーズの話になって、そのとき私が「萌え」という言葉を使ったのでした。『(人気があるのは)萌えるポイントが分かりやすいからじゃない?』のような発言。で、そのとき友人(女性)がその単語に対して、私には過剰と思える反応をしたのが印象的でした。
たしかに私はネットに入りびたりかもしれないけど、侵されているつもりはないのです。「萌え」なんてもう世間的に普通の言葉だと思っていたのですが、それはネットの世界でのことだったのでしょうか。
《話が変わります》
mixiって1年前はいまよりもっとずっと気味悪がられていたはずだよなあ、と最近よく思います。ユーザ数の推移とか興味ないから調べないけれど。私の感覚の話だけれど、去年の暮れあたりでは、blog(外の世界)にミクシィのことを書くのはかなりかっこ悪くて気持ち悪いことだと思っていた。好きなライターさんのblogとかでミクシィが話題になってるのなんかも、なんとなく嫌な感じがした。今年の4月くらいからかな、そういう空気がなくなったのは。いまは一周回ってまた変な空気が流れてる感じがするけど。
blogだって3年前はほとんど受け入れられてなかったと思う(広がり始めたころの話ですけど)。しばらくはメモ帳にタグ打ちながら書いてたなあ。いまでは圧倒的に少数派ですよね。で、最初のころはHTMLで書いてた人が移行したってだけだったのが、1年前くらいから、それまでは「ネット上に自分の日記をわざわざ書いて公開するという思考が、まったく理解できない」というスタンスだったであろう人たちが続々とblogを書き始めたような感じがします(感じがする、ってだけでデータとかは知らない)。
《落ちは付きません》
ネット環境があったとしても知人の書く文章(mixi日記やblog)に対してまったく興味を持たない人もいるってことを忘れないように>自分。